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おがくずをここに捨てれば身綺麗になれるはずだと思ってました
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ツイッター始めました。
心療内科に通っている身でございますので、
あまり情報過多にならないように気をつけて、
ほどほどに皆様とコミュニケーションがとれたら嬉しいです。

機械音痴にもほどがあるので、
詳しい使い方などたびたびたずねさせていただきますが、
おもちゃを与えられた子供のように、
あたたかくご指導いただけると幸いです。

基本的にはこちらが本家ですので、
あちらでは本当に人と交流をするため、
こちらの更新情報を流すためだけの利用となりそうです。

そんなこんなで、よろしくお願い申し上げます。
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テレビには出ない名前が安置所で嗚咽と共に叫ばれている

報われぬ安否判明 おにぎりは塩分濃い目の気仙沼産

地震でも津波でもなく奪うのは救援の手の届かぬ闇夜


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震災から2週間が過ぎ、徐々に訃報が入ってくるようになりました。親戚一同東北県民ということで、ある程度の覚悟をしてはおりましたが、こうしてじわじわとやってくる悲しみには、どうすることも出来ません。

先日、心療内科へ行きました。現状をお話した上で担当医は「あの日、大きなダメージのあった浦安市に居たあなたは『被災者』です。ご親族や友人を助けたいという気持ちが強いのはわかりますが、それ以前にあなたは人を助ける側の人間じゃない。今は自分の精神を安定させることにつとめましょう」と言いました。薬も増えてしまいました。

誰かを助けることも出来ない。
誰かの支えになることも出来ない。
この戦後最大の悲しみの中で私ひとりが無力で、役立たず。

社会の歯車から外れてしまった人間が、もう一度その仕組みに入ろうとする難しさを、改めて実感しました。「自分に出来る限りのことをしよう」なんて、調子付いていた。そもそもやることなすことすべてが人の迷惑だというのに。

だからと言って、ここで心を折られてめげておとなしくしているような人間だったらこんなところでブログを書いておりません。何も出来ないなら出来ないなりに、這いつくばるのが中森つんです。各所の投稿は残念ながらしばらくお休みいたしますが、別のかたちで何かが出来るようにと思っております。

みなさまのもとへ、春の便りが届きますように。
田中ましろさんがめげずに頑張っている「うたらば」のブログパーツが更新されました。テーマは「女」+自由詠。応募総数98首もの中からなんとか拾い上げていただけました。(採用数16首)

「パパはまずママと別れて」五歳児が無邪気な笑みでどかすピーマン

「女は2歳で女」だとどこかで聞いた覚えがあり、お父さんっ子な女の子だったらこれくらいのこと言うんだろうなーと思って詠みました。今回は私の大好きな垂々さんの大好きな短歌

かぎりなく一人と思うハンドルを左にきって流れる乳房

が採用されていてとても嬉しいです。色んな意味で、この短歌は私には詠めないので、素敵に魅力的です。今回のテーマはまさに垂々さんのためにあるような気がしてなりません。

うたらば
http://www.utalover.com/index.htm
推移する詩語の行き先 ただそこに光の渦の幻が居る

短歌研究4月号「うたう☆クラブ」第111回 小島ゆかりコーチ選

6月号の募集から、選者が一新します。
短歌を始めて一番最初に投稿したのがここでしたので、
なにか時の流れみたいなものを感じずにはいられません。
NHK短歌のほうも4月から選者が変わります。
こうして新しい風を入れていくのかと思いつつ、
自分の中でひとつの区切りと考える良い機会だと捉えています。
君の目で光合成が出来たならどんな花にも私はなれる

福井県越前市が主催する、第13回「万葉の里・あなたを思う恋のうた」にて、上記短歌が入選作品になりました。今年の応募数は18941首だったそうです。私はどこの短歌大会がどれほどの知名度があるとか、そういうものに詳しくないのですが、この応募数には驚きです。高校などの団体応募が多いようです。若い世代の新鮮で純粋な感性は私にまったくないものなので、とても魅力的です。

「あなたを想う恋のうた」
http://www.manyounosato.com/

久々に賞状をもらって嬉しかったです。
賞状。
『Think』

もぐらではなく人間であるように架空のなかをとぶモルフォ蝶

四足の猿だったあの夏の日へ戻れば人に大差などない

思考こそ目的なのだ 本能の還る言葉を煮込み続けて

原案に忠実なままポケットは偏執狂の石ころだらけ

賢明な助言はいつも幸福を味わう者の胃袋に居る

人生についてひとつの結論はのばさず食べるカップヌードル

呼吸していられるくせに不幸まで保険適用内と思うな

内側の温度の違うあなたとはわかりあえないわかりたくない

「我々」の真理にたどりつけなくて西暦二千十一年目

正答に触れたのならばいますぐに旅立ちなさいペースメーカー

<「未来」No.710 2011年3月号>
NHK短歌4月号にて短歌が採用されましたので報告です。
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加藤治郎さん選 テーマ「思い出」佳作
キッチンに残像だけが立っている湯気の見えない空っぽの鍋

東直子さん選 テーマ「鞄」佳作
湿り気を帯びた文庫を携えてがたごと揺れる通学カバン
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2作、佳作としてとっていただけました。
ありがとうございます。

15日締め切り分の短歌が投稿できませんでした。
継続こそが唯一の信念というか維持だったのですが、
さすがに今回はそこまで気を回せませんでした。

震災から1週間が経ち、気持ちが少し落ち着いてきました。
この間に、私はあることを知りました。
「人は、やさしくて、あたたかい」
これは26年間人間嫌いを豪語して生きてきた私にとって、
感じたことのないものでした。
「大丈夫だよ」「一緒にがんばろう」「そばにいるよ」
そう言って、みんなが支えてくれるんです。
ずっと、そうだったのかもしれません。
ずっと、気がつかなかっただけかもしれません。
それでも、私は私にやさしさとあたたかさをくれた人々に感謝し、
それに応えて精一杯生きていかなければならないんだと、
当たり前のことにやっと気がつきました。

感謝は、2倍にして返すといい。
そうすれば違う誰かにも笑顔が伝わる。
私に出来ることはとても小さく、ささいなことです。
偽善でも見栄でも何でも良い。出来ることをやるだけです。
中森つんです。なんとか生きてはおります。
未だ落ち着きを取り戻すことが出来ず、文章がまとまっていないことをご了承ください。

まず、木曜日(10日)に母親から「明日、お父さん手術です」と急に連絡があり、慌てて見舞いに行きました。病気そのものは珍しいものではないのですが、自覚してから10年以上の月日が経っていることから、合併症や感染症などの様々な不安がありました。何の奇跡か当日(11日)いきなり手術時間が早まり、地震の直前に終わりました。それだけが奇跡です。父の腹部からは子供の頭の大きさくらいの腫瘍が出来てたそうです。

一度目の地震のとき、私は父の入院している順天堂浦安病院(新浦安)に隣接している食事処に母と兄と居りました。自分の意識と身体が離れるような感覚に襲われ、それが大きな地震になると即判断し、机の下へ隠れしました。すぐに揺れが大きくなり、物が散乱するような状態になりました。揺れがおさまった後、店外に出ると、建物にひびが入り、ガラスが割れておりました。

天井が落ち、停電し、スプリンクラーが作動し、混乱の渦に襲われる病院の中、父の安否を確認し、自宅に残してきた猫たちの様子を見るべくタクシーをひろおうとしていたところで、二発目が来ました。身体ごと地面に叩きつけられ、道路のミラーが兄の背後に落下し、頭上からはレンガが落ち、コントロールを失った車が目の前に迫り、地盤沈下しているのか道路の断層が見え、隙間から水が吹き上げ、あちこちは液状化現象を起こしていました。テレビで見たことのある震災が、私を飲み込みました。何かの割れる音、誰かの悲鳴、建物の軋む音。その後はただただ静寂。誰もが言葉を発することが出来ませんでした。

父のところへ行くべきか悩みましたが、もう病院に任せるしかないと決め、そのままタクシーで逃げ出しました。橋をひとつ越えただけで、風景は「日常」へと変わりました。ですが自宅へついてみると、室内は地震の影響で物がめちゃくちゃに散乱していました。心が凍りそうでした。何度も必死で猫の名前を呼びました。隙間という隙間をさがすと、猫は一番奥の部屋の、こたつの中から震えながら出てきました。二人して泣きながら抱き合って、最低限のものをかき集めて、隣駅の実家に避難しました。その数時間後、なんとか帰宅した旦那さんと再会し、不安をこらえきれずに泣きました。

この地震における新浦安の震度は5弱と6弱だったそうです。

両親の実家が岩手にあり、親戚が宮城~岩手~青森にいます。7割がたの親戚には連絡がつき、命があることを確認しました。安否どころか、行方不明かどうかもわからない人もいます。また友人が福島におり、原発の屋内退避地域で耐えている状況です。

私自身のことを申し上げますと、先日、体中の痛みに耐えかねて病院へ行ったところ、「全身打撲、捻挫、左半身知覚過敏、右半身知覚麻痺、PTSDなど」という診断を受けました。損傷というレベルではないので、自宅にて安静、心療内科と相談です。が、その心療内科が地震の影響でしばらくお休みです。水曜日に診療の予定で気を張って無茶をしてきたので、それがないとなると、自分の精神状態を維持することにつとめるほかにできることがありません。

父は月曜日に退院しました。入院していた病院が停電や断水、物資不足によって野戦病院と化しているらしく、命に関わらない程度の患者を無理やりにでも退院させているようです。帰宅後の父は、親戚の情報を集めたり、仕事関連の作業に追われているようで、おとなしくしているという話は聞いておりません。

自分自身も被災し命の危険にあったこと、被災地のど真ん中に多くの親戚がいることなど、どこをどうとっても、今回の震災にたいして他人面をして普通の生活を送ることが出来なくなりました。なんでもいい。少しでもいい。自分の出来る範囲で、出来る限りのことをしたいと思っています。

皆様にお願いがあります。東日本も西日本も同じ「日本」です。私達は思いやりの精神という「輪」で繋がっています。どうか、皆様の思いやりを少しずつ被災地へ分けてください。また、1ヵ月後、半年後、1年後もその気持ちを忘れないでください。どうか東日本を助けてください。お願いです。

中森つん
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震災について、5首詠みました。

悲しみの深い涙の底に居ていまは静かに眠れ良い子よ

らくがきでかまわないから僕たちは描いていくよ最高の未来

この歌が祈りとなってひとりでも多く光のほうへ導け

絶望の中で私は歌うからどうか貴方へ希望よ届け

かなわない奇跡を願うことよりも自分自身で誰かを救え

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ここに、私の好きな歌詞をひとつ載せます。
誰かの心に、届きますように。

僕は歌い 君は眠り 誰かは戦っているんだ

SURFACE「欠片1ピース」
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プロフィール
HN:
中森つん
性別:
女性
自己紹介:
穂村弘さんに影響を受け、2009年、短歌にベクトルをあわせ出発進行。雑誌やメディアでの掲載・採用情報、結社詠草の情報置き場。尊敬する歌人は笹井宏之さん。
結社「未来」の「彗星集」所属しておりました。申し訳ございませんが、歌意の説明は控えさせていただいております。
2011年12月活動休止。2013年4月活動再開。
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